さて、僕が何故ベースを始めたのか。
それを語るために、幼少期の記憶を辿ってみる。
一番最初に音楽と触れ合ったのは4歳の頃。幼稚園でヤマハの音楽教室に参加する機会があった。我が家にピアノがあったのと、姉が弾いていたからだと思うが、ピアノに興味があったようだ。
ちょっとしたレッスンだったが楽しく、1ヶ月に1回程度参加していたのではなかろうか。そしてそこでちょっとした挫折と成功を経験した。
4拍子と3拍子を体感する遊びのようなものがあって、4拍子の場合、足を「前→後→前→後」に出し、3拍子の場合「前→後→後」と足を出して歩いていくのだが、4拍子はうまくいくものの、3拍子が全くできなかった。
悔しくて泣いた気がする。初めて経験した挫折だ。
しかしその悔しさをバネに多分練習したのだろう。ある日突然できるようになったのだ。これが初めての成功体験。できたことが嬉しくて、毎日「前→後→後」と足を動かしていた記憶がある(笑)。
■小学校に上がって
幼稚園を卒園してからは、お家に来てくれていた姉の先生に僕もピアノを習うことになった。そこから小学校5年生まで続けたかなぁ。
最終的には「男の子がピアノを習うのが恥ずかしい」というなんとも子供っぽい理由でやめてしまったが、一応黄色のバイエルの200番くらいまでは弾けていたようだ。
ただ最後の方は練習するのが嫌になり、ピアノの先生が来る日に課題を初見で弾くという全く意味のないレッスンになっていたので、やめて正解だ(笑)。
そこからしばらく音楽を演奏するという行為からは遠ざかってしまうが、音楽を聴くのは好きだった。
小学校2年生からサザンオールスターズが大好きになり、そこから母が好きだったさだまさしさんも聴くようになった。5年生くらいになると、姉や従姉妹のお姉ちゃんからJPOPというものを教わり、B’z、Mr.Children、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりもきっと」なんかを夢中になって聴いていた。
■JPOPに傾倒した中学生前半
そして中学生になったとき、僕にとって衝撃的なことが起こる。
通学路の途中にレンタルCDショップのTSUTAYAが出来たのだ。
何より画期的だったのが、当時レンタルCDショップは高校生以上でないとCDを借りることができなかったのだが、TSUTAYAは中学生でも学生証を出せば借りることができた点。
そこからはもう、お小遣いが許す限りシングルCDを借りてはテープにダビングして聴く生活になっていった。
小室ファミリーはもちろん、当時流行っていた音楽は一通り網羅していたと思う。そこで大好きな相川七瀬さんにも出会った。相川七瀬さんだけはCDを全て買い、ファンクラブに入るまでハマってしまったのだ。
さて、そこからどうやってベースという楽器に出会ったのかというと、ある日突然Xの紅にハートを撃ち抜かれたのである。
今でも鮮明に覚えているが、本屋で立ち読みをしているときに紅が流れ、背中に電流が走った。
「なんだこれ、かっこいい!!」
そこから取り憑かれたようにXのCDを買い漁り(ほとんど中古)、ついにVHSを手に入れるまでになった。
ビデオのタイトルは「刺激」。
もうテープが擦り切れるほどという表現がぴったりなくらいひたすら観た。
XはやはりYOSHIKIさんがかっこよく、初めはドラムの真似事ばかりしていたが(父の電気スタンドの傘を棒でひっぱたく)、ある日を境にベースのTAIJIさんがものすごくカッコよく見えたのだ。
■ベースって何!?
「TAIJIになりたい!でもベースって何?」
調べてみるとどうやらピアノでいう左手の役割の楽器らしかった。
「ヘ音記号も読めるし、もしかしたら僕にもできるんじゃ…」
夢が膨らんだ。そして父に「ベースを買って欲しい」と頼んでみた。
しかし、父の答えは「No」だった。
当時、部活(野球部)もやめてしまい、勉強もあまりできないというウダツの上がらない中学生だったし、少し不登校にもなっていたので、楽器を与えるのが心配だったんだろう。
しかし、負けじと食い下がり、成績が上がったら買ってもらうという約束を取り付け、頑張って勉強した。すると成績が上がったのだ。
「これでベースを買ってもらえる!」
しかし衝撃的な展開が待っていた。
父は買ってくれなかったのだ。
大人になって「約束したのになんであの時買ってくれんかったん?」と父に聞いたことがある。
「本当は買ってやりたかったんじゃけどの、あの地点で楽器を買ってやることがお前の為にならんと思ったんよ。」
どうやったら子供のためになるだろうと一生懸命考えてくれる父。今思えばありがたいと思うのだが、その当時は受け入れられなかった。
「よし、もう頼らん。自分でお金を貯めて買ってやる!お金が貯まるまでお父さんとは話をせん!」
これが父に対して初めての反抗だったように思う。
そこから数ヶ月、お昼のパン代を節約し、おじいちゃんの手伝いをしてもらったお金とお年玉を合わせて2万円貯めることができた。
そして夏休みが始まったある日、ついに自分の楽器を手に入れる日がやってきたのだった。
つづく